土葬の道しるべ 第12号 2014年12月末発行
土葬の会 〒400-0514
山梨県南巨摩郡富士川町平林2294-4
TEL/FAX 0556-22-8656
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皆様へ
今年一年を振り返りますといくらか葬儀の在り方に変化が生じております。
ひとつの例は「葬儀・お葬式と葬儀社選びをサポートする葬儀総合サイト
利用者数No.1」には土葬の選択肢がないのです。そして自然葬という欄にもありません。最も自然葬であるはずの土葬が扱われていません。つまりすべての葬儀は火葬を前提としていて、自然葬と言われるのは焼骨を海や山や川に散骨することを自然葬と称しているのです。いつのまにか自然であった土葬が不自然な葬儀と見られ葬儀の選択肢からも除外されてしまっています。
もうひとつは「0葬−あっさり死ぬ」です。
7月1日に知人の女性が「そうそう」という冊子を持って来ました。
私が土葬の会をやっており時折葬儀の話をするので、彼女が会員となっている“葬送の自由をすすめる会”の島田会長が言うところの機関誌に出ている内容を見てほしいというのだった。そこには聞き慣れない「0葬」という言葉があった。最近は直葬が増えていて病院や自宅から葬儀をせずに直接火葬場に棺に入った遺体を運び火葬にするというものですが、それとどう違うのか。
この会は自然葬を目的として発足しており、これは火葬が前提となっていますが遺骨を山や海、樹木の下に撒くという方法です。いわゆる散骨ですが自然に還そうとの意向で、つまりお墓を必要としない葬儀です。ところが0葬は直葬と同じように葬儀をせず直接火葬場に棺に入った遺体を運び火葬にしますがここからは0葬の違うところで、焼却された遺骨を拾うことも引き取ることもしないのです。これは遺族の立ち会いも必要ないようで、火葬場から焼骨も引き取らないで処分してもらうという方法です。本の中には(遺骨への執着からの解放)(遺骨は霊魂の抜け殻であり、遺骨がないと故人を供養できないというものでもない。)と書かれてあります。
遺骨を残すことの意味を探ろうとしない者にとってはもはや生ゴミ同様の厄介物というわけか。彼は宗教学者ですが他の宗教学者や宗教界と同じように本来の人間の葬儀、土葬の意義は興味がないか知識がないようです。
土葬の会では遺骨にこそ本人の気が残りその影響は本人が次の転生に於ける時に役割を果たすことや遺族にとっても良い影響を及ぼすものであることを教えています。つまり葬儀としての土葬は0葬の主張であるところの遺体は霊魂の抜け殻として不必要なものではなく正反対の立場で、遺骨を残すことは本人と遺族にとってつまり人間にとって重要なのです。これはひとえに人間は生まれ代わりを繰り返すものでありその過程は果てしない進化という流れを目指すものです。このように土葬の会では遺骨や墓地を保存することを最重要に扱うのと正反対の方法を取る0葬は自然葬とどう結び付くのだろうか。
遺骨も思い出も残さずにあっさりと死ぬことは果たして人間に何をもたらすのか、火葬大国日本の、世界に例のない火葬率はどのような弊害をこの日本に残すのか、その結果を危惧しながら今は見守るしかないのだろうか。それでも確かな土葬復活への動きがあることを世間に知らしめることは必要であろうと思われるのです。
7月5日
初めまして。
現在大学で、葬儀(葬儀における葬儀社と近隣住民、地縁的関係者の役割)について研究をしている鈴木香穂里と申します。
突然で申し訳ないのですが、いくつかお伺いしたいことがあります。
ホームページの会報を拝見しました。
私の考えている卒業論文のテーマと土葬には関わるところがあると感じました。
私は今年の1月に入り、祖父を火葬で見送りましたがそのやり方に馴染めないというか、とにかく祖父に申し訳のない気持ちで一杯でした。業者にせかされるまま、形式的な葬儀を行ったがために、
きちんと別れをすることができませんでした。また、最も疑問を感じたのが、火葬場での出来事でした。市営の火葬場で、他にも火葬をするための遺族が多くいたため、せかされるように炉に祖父をいれなくてはならなかったことや、骨あげの際に、祖父をモノのように扱われ、骨壺に窮屈に無理矢理おしこめられる場面を見て、なんとも言えない気持ち、納得のいかない気持ちを今でも抱えています。
葬儀を終えた後からずっと、自分は火葬されるのは絶対に嫌だ、という思いを持っています。
葬儀を終えた後から、祖父の死や死というものにしっかり向き合いたいという気持ちが芽生え、葬儀をテーマに論文を書きたいと思うようになりました。
主に現在調べていることは、
葬祭業の発展と地域の中の相互扶助のもとでおこなわれる葬儀についてです。一度ぜひお目にかかって頂くことはできませんでしょうか。土葬について、土葬を選択する人々の心情、背景についても関心を持っています。
ぜひよろしくお願い致します。
7月6日
いつもお世話になりありがとうございます。
会報受領しました。
土葬に関心を持つ方が増えているようで、嬉しく思います。
2014/07/06 19:01 三輪芳博
7月6日
福島の緑川淑枝さんが入会されました。福島県の方は初めてですね。
7月12日
静岡の齋藤妙子さんが入会されました。静岡県の方も初めてです。
7月18日
先日問い合わせのあった鈴木さんが来られました。市川大門駅まで迎えに行きお連れしました。毅然とした態度で目のくりっとした可愛い人です。丁寧にご挨拶をいただきいまどきの女性には珍しく思えました。早速ノートを取り出されて質問をいただきました。
会では地域の方の手を借りての土葬が行なわれたという情報をこれまで得ていません。その間で知るところでは石材会社の重機による穴堀埋葬です。つまり葬儀を終え、葬儀会社の霊柩車で運ばれて来た棺を重機で穴を掘って埋葬する訳です。
これは土葬の会も同じ方法で、会は葬儀会社ではありませんが私が墓地の管理会社の許可を得て重機で穴を掘って埋葬をしています。
このように人出を要することなくできるのです。
土葬に関しまして葬儀会社は棺を墓地まで届ける、そして埋葬の手伝いをするのです。従いまして人の手数を要することはありませんし1人でも重機があるので埋葬しょうと思えばできるのです。
この穴堀はとても業者に任せないとできない作業ですね、火葬についても火葬場に任せ自分たちで穴を掘ったり、焼く訳にはいきませんよね。土葬の場合は埋葬するだけですが、火葬の場合は焼いた後に焼骨拾いをし、そして墓地に埋設という手間がかかります。
ある事例では火葬ボタンを喪主に押させるそうですがそれすらも喪主は嫌がります。しかし土葬では埋葬の土入れを喪主にさせますが嫌がられることはありません。
むしろ土葬の場合は土葬できたことを大変感謝されますが、果たして火葬の場合はどうでしょう、火葬できて良かったと感謝する人は居るのでしょうか。
誰しも不自然だが致し方ないとあきらめているように見えるのです。
葬儀のありかたは死亡後の葬儀社ペースの出棺までの流れに戸惑いを感じたとの声を良く聞きます。
ゆっくりと死者との別れができず急かされ、また金額に付いても定められたコースを選ばざるを得ないとかですが。
7月29日
昨年、首都圏の葬儀社宛に「土葬受け入れのお知らせ」を発送しましたがその後、首都圏の自治体宛の「土葬受け入れのお知らせ」の発送を計画しておりました。
会員の玉木さんからのご支援があったこと、また朱雀の里の管理会社様のご支援もいただきながら352通の発送が完了しましたのでお知らせします。
ほとんどの自治体は土葬が首都圏に於いてできるようになったことに驚かれるでしょうが、役所に土葬の問い合わせがあった場合に土葬の会と土葬が可能であると紹介していただけるように期待しましょう。
8月10日
朝日新聞に「中元節 つながる来世と現世」と題して中国の土葬事情を掲載
以下抜粋―――話題の中心は、墓地の価格が高騰して死ぬに死ねないという「死不起」問題の方。葬儀バブルで、棺おけや墓石、霊柩車まで跳ね上がったそうだ。もうひとつ、「土葬を禁止されて人々が悲しんでいる」という話もよく聞いた。火葬が浸透しても、農村の人々は昔ながらの土葬を望む。たとえば安徴省では今春、火葬にされたくない一心で、数人の高齢者が自殺した。市当局が「6月から火葬に移行する。土葬用ひつぎは没収」と通知したからだ。中国では、老年にいたれば自分で埋葬用の棺おけを買うのがあるべき備えとされてきた。最晩年になって取り上げられれば動揺もするはずだ。
−−−中略―――土葬をめぐる混乱は、党が1956年に始めた葬礼改革にさかのぼる。毛沢東、周恩来、?ケ小平ら151人が火葬提案書に署名し「私たちも死んだら火葬です」と宣言した。ところが生き死にに関する人々の意識は一朝一夕に変えられるものではない。特に人口の9割を占める漢族には古来「人は死ねば必ず土に戻る」という思想がある。
9月15日
会員の宮沢さんが2度目の風の丘霊園を訪れました。予め墓地を取得し墓石を設置し御両親のお骨も一緒に埋葬したいとの思いから具体的な構想を固めるためでした。その後、回転寿しにお連れしましたら大変感動されました。何10年も回転寿しは行ってなかったのでいまどきの変わりように驚いたそうです。それから平林に寄られてお墓の構想を話し合い、ルーマニアのお墓を参考に楽しいのを造ろうということになりました。
10月4日
東京からNPO「人と人をつなぐ会」の方が墓地の見学に来られました。
この会は孤独死をなくすことをスローガンに独居老人の見守りに関する活動をされています。老人世帯が急増する中でマスコミからも注目され取り上げられているそうです。見守りケータイで安否確認、お葬式、清掃遺品整理、お墓、住まい相談など活動の関係でイスラム教の土葬の要望もあることから土葬についての見学に来られたのです。この会は独り暮らしの生活にとっては心強い支援となるでしょうから連携も考えられますね。
10月15日
名古屋の平野さんが入会されました。愛知県では初めてです。お父さんが亡くなられたのでエンバーミング処理をして石棺での土葬を望んでいます。そこまでされる必要はないのではと思いましたが、心残りの無いように出来る限りのことをしてあげたいのだそうです。
11月3日
一昨年以来2度目の懇親会を開催しました。
参加者は10名で平林の山の中にある会に集まりました。
中でも特に驚いたのは玉木さんでした。というのも参加のお返事をいただいていましたが、本当に来られるのか半信半疑でした。入会当時から電話でのお話しからは何10年も引きこもりで人の集まるところに行くことを避け、体調も良くないと言っていました。しかし土葬の会を見つけて生き甲斐を感じるようになり少しずつ元気になっているとの印象でした。しかし1人で遠出など考えられない状況でした。ですから本当に来られた時には驚きとともにお電話での弱々しい印象とはまったく違ってしっかりされた態度で本当にあの本人なのかと疑わしかったほどです。
このような田舎での開催に不安を感じながら皆さんに伺うと、自然のなかだと落ち着けるし景色も良くて気持ちがいいとおっしゃっていただけたのは幸いでした。玉木さんは、いまこうしてこの場にいる自分が信じられないほどで緊張して食事がのどを通らないとおっしゃっていました。
昼食を囲みながら顔なじみの人、初参加の人を交え死ぬことや死後の扱いなど世間では避けて通る話題で話に花が咲きました。
食後は近くの高台まで散策し集落や甲府盆地、富士山を一望していただきました。また隣に私も関わって建てた建物を売り出すことになったのでお風呂に入りながら富士山を眺められるなど広い家の中を見ていただきました。また半分ほどは未造作ですので希望の部屋作りもできるでしょう。田舎暮らしを望まれる人にはお勧めと思います。
食後はルーマニアの世界一陽気なお墓をインターネットからテレビに映し出して見ました。絵とともに職業や出来事を綴った印象深いお墓です。
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/youki.html
また、風の丘霊園で提案する自分史を刻む お墓 土葬用墓石(虹)この墓石に陶器印刷による写真印刷で自分史を残すアイデアも出ました。
参加者の宮沢さんは大変な経歴をお持ちで、日本初の女性総理番記者として活躍されていましたがお母様の逝去に伴い一転して医者になることを決意、大変な努力の末に女医になり現在はお茶の水でクリニックを開業されています。詳しくは宮沢あゆみ著「天職適齢」人間と歴史社をご覧下さい。
不思議なことにこの時期に朱雀の郷の管理会社から石棺葬はどうなのですかと話がありました。棺を埋葬する土葬はできないが石棺に納める埋葬はできると言うのでした。会としては石棺でも土葬と同じ目的ですから歓迎しますと伝え今後提携に入りたいと思います。またしても首都圏の千葉で墓地が見つかるとは嬉しいですね。
老後の対応として NPO人と人をつなぐ会を紹介しました。孤独死を防ぐ安否見守りケータイ、お葬式、清掃遺品整理、お墓、住まいの相談、エンディングノートなど独り暮らしの方には心強いですね。 http://tunagukai.exblog.jp/
またこのたび、会としては初めてですがエンバーミングと石棺埋葬を望む方がおられるので風の丘霊園に埋葬予定です。
次に関連してエンバーミングとは 化粧、防腐処理、着せ替えなどについて話し合いました。
http://www.humanceremony.ac.jp/subject/embalming/info.html
田舎暮らし一戸建て住宅 建坪59、倉庫25、土地656、終の住処にいかがですかと紹介しました。
これは隣接する物件で私も手伝って建てたものですが、状況が変わって手放すことになりなりましたのでご興味のある方はお問い合わせください。
以上が懇親会での話題に上った内容です。
後日、玉木さんのお母様からお手紙が届きました。そこには息子さんが晴れ晴れとして返ってきたことへの感謝の言葉が90歳を超えたとは思えない達筆でしたためてありました。有り難いことですね。
11月12日
名古屋から平野さんが埋葬の打ち合わせのため。名古屋から新幹線、静岡駅で乗り換え身延線の市川大門駅に着きました。車で増穂インターから中部横断道を経由、双葉ジャンクションから中央道に入り韮崎インターで降り、昼食を済ませると墓地へと移動。お寺に挨拶を済ませ、待ち合わせていた管理会社の黒岩石材さんと石棺の設置など打ち合わせました。
11月22日
平野さんのお父様の埋葬を風の丘霊園にて執り行ないました。
前日は黒岩石材さんと石棺を設置し、その中に更に石棺を2重に設置しました。そしてエンバーミング処理をされた遺体が葬儀社によって運ばれて来ました。
石棺にシートを敷き棺を降ろして納めシートをたたみ上にシートを掛けました。
そして石棺の蓋をし、その上から更にシートを被せ、大きい方の石棺の蓋をしました。最後にその石棺にシートを掛け土を戻して埋葬を終えました。
このような丁寧な埋葬は会としてもまったく初めてでした。お母様が先になくなりその後に漁師をして頑張ってくれていた聾唖のお父さんが交通事故の後遺症で仕事ができなくなり、残念な思いで亡くなったそうで、そこには遺体を大切に少しでも長らえて、いつまでも残ってほしいとの娘さんとしての強い思いがあるようです。まったく火葬とは違う遺族の思いがあるのです。火葬は死者との決別なら土葬は死者と寄り添ってまさに生きるのです。
12月15日
山梨県の南アルプス市で見慣れぬ霊園の看板を見つけました。
宗教宗派を問わずと書かれてあったのでもしやと思い問い合わせてみました。土葬の受け入れは考えていなかったそうですがお話ししてみると今年から霊園として宗教を問わず受け入れを始めたそうです。そして土葬の要望をお伝えしましたら喜ばしいことに土葬を受け入れていただけることになりました。
周りは果樹園で高速とバイパスの近くにあります。土葬用地としては十分な広さが確保できそうでした。
さらに、別寺院が櫛形山の外れにあるとのことでそちらも土葬はいいですよと受け入れ表明をいただきました。いっぺんに2カ所も見つかるとはなんと幸運なことでしょうか、後日、そちらも見学してきましたが山間の集落の山沿いにあり、周りは果樹園です。こちらのお寺は無人で墓地用地はあまり広くはありません。このように千葉に引き続き2カ所目の墓地が見つかったのですから探せばあるものですね。正式に提携しましたら案内したいと思います。
次第に土葬の未来が開けてきたように感じます。
また来年はどのような展開があることでしょうか。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
土葬の会 山野井 英俊