土葬の会
〒400-0514
山梨県南巨摩郡富士川町平林2294-4
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新年明けましておめでとうございます。
雪のない新年を迎えたのは初めてでした。気象異変は深刻ですね。
本年もどうぞ宜しくお願いします。
「年末の朝日新聞、引き取り手のない遺骨の増加に自治体が苦慮」
1月4日
昨年末に問い合わせのあった大阪の方からお電話がありました。
大阪近辺での土葬はできませんか、と相談を受けていました。それで、「こちらではいつでも受け入れはできますが遠いので、もしよろしければ奈良県あたりで土葬ができるところを探してみてはいかがですか。」と返答していました。
その後、電話帳で葬儀社やお寺を探したそうで、葬儀社から土葬のできるお寺を紹介していただき、それでお父さんが亡くなったおりに土葬ができたそうです。
墓地への道は狭く普通の重機は入れないということです。条件が合えば会と提携できるかも知れませんが、紹介者からの連絡待ちであることからまだ先の話になります。
なお同じ奈良県では十津川村で未だ土葬をしているそうです。火葬場がないので土葬をしているということでした。しかし他所からの土葬は受け入れず村の住人に限るということでした。
このように年明け早々に奈良県の情報が得られたことは幸いでした。
きっとまだ探せば他にも見つかるのではないでしょうか。
また、土葬ができる十津川村に移り住むのも一考ですね。
1月18日
横浜の中村善寧さんが墓地の見学に来られました。晴天でとても暖かいなか韮崎駅に出迎えました。まだ28歳の彼は心臓の疾患があり医者から余命が長くないと告げられているそうで、親よりも先に寿命を終える可能性があることから今のうちに墓地を見学しておきたいと来られたのでした。お寺では住職さんにご挨拶をし、墓地へ向かいます。周りの景観の良さが気に入ったようでした。その後は喫茶店に移動し、一泊して思い出を作って帰りたいとの意向でしたので宿泊先へ送ってお別れしました。
1月20日
東京の松島直美さんからご挨拶を頂きました。
東京での会合の必要性を伺いましたら、実現を望んでおられますので検討することにしました。
1月21日
ご無沙汰しております。気軽に質問OKという事で甘えさせていただきます。私は親戚がお寺をやっておりまして、兄貴からは心配いらないと言われましたが、私は土葬がいいなと思っています。まだ到底、死ぬとは思われませんが、もし埼玉県三郷市まで遺体を取りに来ていただいて、其方で全部埋葬をして頂き、次世代のものが費用を負担しなくてもいい様な状態にするには総額幾らくらい用意すればいいのでしょうか?
またこの金額は他の人にも紹介するかもしれません。面倒かと思いますがよろしくお願いいたします。 村上剛毅。
返答:自分が亡くなったときの対処として独り者は親戚縁者に頼んでおく。または弁護士、後継人を指定しておくという宮沢さんのような人もいますね。
また彼女は永らく数百年程度の埋葬維持を望んでいます。
その方法はお寺や霊園の都合にもよりますが火葬墓地のように墓石を置く。
年間管理料を100年くらい用意して納める。これは一つの方法ですが一般的には管理料が切れた時点で、後はお寺が無縁仏としてお墓を更地にします。
朱雀の郷や風の丘霊園では埋葬費用は100万くらいで、遺体引き取り
10万〜20万としてあとは管理料ですね。相場は年6,000円ですから100年として60万円、その他掛かるとしても200万程度でしょうか。
会が一般社団法人になってからなら、後継人制度を設けて会に委託しておけばすべて安心、となればいいですね。管理料も会に預けておいて毎年、会からお寺に支払うこともできますね。
1月16日
提携先の朱雀の郷に連絡して状況を伺いました。ここではイスラム墓地もありましてもうすでに60体ほど埋葬されたそうです。一般の方では土葬の会員が最初でしたがその後、数体の埋葬と予約も入っているそうです。
1月17日
テレビで「ご遺体ホテル」が取り上げられていました。聞き慣れないご遺体ホテルとはどういうものかといいますと、病院などで死亡するとすぐに遺体の引き取りをしなければなりません。通常ですと葬儀社に依頼して葬儀場に運んでもらい葬儀へと進むわけですが、家族葬や葬儀を行わない場合には自宅に運びます。しかし、自宅にも遺体の置き場所がない場合や、直送する場合でも身内で通夜やお別れをしたい場合でも、このホテルを利用するのだそうです。そこでは個室が用意され遺体が安置されます。一泊9,000円くらいでいつまでも気の済むまで預かっていただけるというのです。ここにお別れの挨拶に人々が訪れ、ロビーでくつろぐこともできるのです。
問題ないのかとの疑問には、遺体は「物」となるのでホテルは倉庫業となるのだそうです。
1月25日
福岡の方からお電話を頂きました。
もうすでに亡くなった方がおられ、東京にてエンバーミングを施し欧米のような棺に納めた状態で長期保存したいのですが、それが無理ならせめて土葬を考えてみますので資料を送ってください。とのことでした。
1月27日
テレビでも見ましたが、このたびは朝日新聞に「遺体ホテル」が取り上げられていました。
1月29日
昨年末、取材を受けた鎌倉新書から記事掲載の「仏事」が送られてきました。ここでは表紙を掲載しますが、記事の内容は別紙で会報に添付します。
なお、訂正としまして、墓地の提携や可能性は合計15カ所と出版社で追加されていますが正しくは計9カ所です。
2月3日
こんにちは。私、冠婚葬祭の専門学校に通っているものです。ゼミナールのテーマとして土葬について調べています。どうしても息詰まるところがあり、お聞きしたくご連絡させていただきました。
2月6日
「札幌在住の者ですが、人ではなくペット(うさぎ)を土葬にしてあげたいのですが、余市の霊園ではペットの土葬を受け入れて頂けるのでしょうか?」
返答 ペットの土葬ですが、余市では火葬にした後でなら受け入れを行っています。
どうしても土葬にされるなら、まだこの方法は霊園には相談していませんが、ご自分の土葬用墓地を確保されそこの片隅に埋葬するならできると思われます。順序としまして会に入会いただくと同時に墓地の契約、支払い、許可、埋葬となります。
2月22日
関西の18歳の女性から問い合わせがありました。死後火葬にされることを不安に思い探したところ土葬の会を見つけて連絡を頂いたそうです。
2月23日
訃報
馬場 信行
1954年4月17日生まれ、2017年2月23日逝去、享年62歳
終戦後、親が満州から引き上げたのち青森県八戸市で8人兄弟のうち、双子として生まれる。
中学校時代に聖書に出会い、東京大学時代や株式会社リコーに勤務時代も含め宗教研究の遍歴をした。
1985年、小桜良枝氏に会い、彼女が「ビリー」・エドゥアルト・アルベルト・マイヤー氏の本を翻訳出版するため、本の買い付けにスイスへ同行した。その際、ビリーに信行、邦子の結婚の立会人をしていただいた。後年、二人の娘に恵まれる。
1987年、日本から15人のツアーに参加し、再度スイスを訪ねビリーを始め多くのメンバーの歓迎を受けた。また、ギドーとブルーニーを囲んで多くの質問も行なわれ有意義な旅であった。
1991年、FIGUスイスの一般会員となる。
1991年11月1日、 FIGUスイスの認可によるFIGU-JAPANの設立に関わり議長に就く。その後、東京での勉強会を立ち上げた。
1997年、日本におけるセンターを目指して山梨県南巨摩郡富士川町平林の山の中に移住し、2年後に山野井英俊、涼子もとなりに移住した。
2001年、FIGU-JAPANメンバーとの意見の違いによってFIGU-JAPANから除名される。
後日、ビリーとプターの会見で、この理不尽な除名についての見解が直接FIGU-JAPANに伝えられた。
2001年、山梨での勉強会の立ち上げに関わる。
2012年12月8日、正式なFIGU山梨研究会の設立に関わる。
以後、FIGUの会合や活動に、東京の勉強会に、そしてドイツ語の勉強会にも参加してきた。
追悼文
このように、彼の人生の大半がビリーとの出会いから始まる日本におけるミッションの遂行に向けられ、FIGUスイスのようなセンター構想を抱いてビリーの助言をもとに、彼とともに全国を探し山梨での生活に移りました。スイスのセンターを手本にし、共同で鶏やヤギを飼い、畑を作り、地域の活動にも参加し、信頼を得ていました。彼の幼少から社会人まで、そしてFIGU-JAPANでも人間関係に悩み、さらには自宅の焼失など過酷な人生であった。しかし、忘れてならないのは何よりも妻である邦子の献身的な支えがあり、二人の娘に恵まれ、その娘達は父について「父の育った家庭環境の複雑さのため中学生のころから人生について悩み、生きることや愛について常に深く考えていました。晩年、父は愛を習得しきれていないと言っていましたが、私は父ほど愛にあふれた人はいないと思うのです。時に裏切られ、つらい想いをしたとしても、常に周囲の人々に対して、誠実さをもって接し、見知らぬ、困っている人達に対しても手を差し伸べる人でした。だからといって、そのために家庭をおろそかにするようなことはなく、私達娘を自立するまで育て上げ、母や私達に最後まで最高の愛情を注ぎ続けてくれました。」
彼を慕う多くの友人とともに、私にとって最も信頼する特別な友人として、彼とともに長きにわたって活動してきたことは喜びでした。しかし、道半ばにして不幸にも膵臓ガンに冒され、62歳の人生を閉じたことは、まだまだFIGUのミッションを遂行し続けたいと願っていた彼にとっては無念であったと思います。私は2001年、FIGU-JAPANの三俣常彦が亡くなり、土葬にできなかったことがきっかけで、ほとんど火葬になっている日本で土葬の会を発足した。しかし、私より若い信行を土葬にすることになろうとは思いもしませんでした。信行の土葬をかなえることができたことは、私のせめてもの慰めです。彼の功績は尊く、後に続く我々の励みとなり日本に於けるミッションの礎になることを願ってやみません。
FIGU山梨研究会 山野井 英俊
この訃報と追悼文はFIGUスイスへ報告したものをそのまま転用しました。
なお妻の馬場邦子さんが「自分の気が残り続けることを願って」と、入会されましたのでお知らせします。
2月27日、
風の丘霊園にて喪主馬場邦子さん、および娘さん、そして会員の伊藤俊彦、塚原和俊、山野井涼子並びに葬儀社の人が参列し埋葬を行いました。
3月11日
九州から馬場信行や私達の友人である平山さんが来られました。そして彼の埋葬されている墓地へ案内しました。
3月12日
東京から江東良一さんが土葬の墓地を見学したいと来られ、風の丘霊園へお連れしました。「山野井会長の人柄とまだ死ぬつもりはありませんが末永くおつきあいをできたらと思います」と、はじめて外国、香港出身の方が入会されました。
3月22日
神奈川県の女性からお問い合わせがありました。自宅で流産してしまった胎児の処置についてでした。
通常は病院で胎児の処置をするのですが、今回の場合は胎児を持って来ないで本人だけ病院に来てくださいと言われたので残された胎児の処置に困っているとのことでした。できれば土葬ができればと問い合わせてきたのでした。トイレなどで流産してそのまま流れしてしまった場合、またはそのまま流してしまうなどあるそうですが、初めての事例で戸惑いました。
一応朱雀の郷と連絡を取り受け入れが可能でしたが、その後連絡はありませんでした。
4月11日
東京の増田ユリコさんが入会されました。「重要な役割を果たすのが遺骨」の意味について、日本の伝統文化の一つとして続くことを願って。
4月25日
鎌田あづささんから先日のお電話に引き続きお手紙が来ました。ご自身はキリスト教の復活を想定している関係から、もうすでに石棺を墓地に設置しています。また棺の自宅保管もあって良いのではないかとの意見です。それには法的な問題など調査が必要ですね。
5月5日
東京から90歳の男性が墓地の見学に来られました。
以前にも一度来られたことがあり、お一人で再びの訪問でした。
6月9日
はじめまして、こんにちは。
(複数の理由で)土葬を希望している者です。
いくつか質問をさせて下さい。
○私は大阪府在住ですが、大阪府在住で土葬は出来ますか?
○たつの市の土葬ができる所は3000万円と言う莫大な費用です。これでは無理です。一般的な金額で大阪および近畿地区で土葬ができる所はありますか?
○大阪の葬儀会社で土葬との取引を行っている葬儀会社はありますか?
今後共宜しくお願い致します。
6月16日
東京の男性からパンフレットの要望を頂きました。「以前から土葬に興味があり、詳細を教えて頂ければと思います。土葬の会の存在を知り非常に驚いています。」
6月22日
予定していた埋葬が雨のため先延ばしになったためあらかじめの作業として穴堀をしました。山野井涼子、伊藤会員、そして知人にもお手伝いいただきましたが昨日の雨のせいで水が周りから入り込んできます。梅雨の時期ですから天候に左右されます。
6月23日
神奈川県の男性から「本日パンフレット受領致しました。
お忙しい中早急なご対応有り難うございます。会の趣旨などよく分かりました。入会を前提に検討します。実際に自分が土葬される場合は、家族の協力が必要と思いますので、妻に相談して入会しようと思います。」
6月30日
東京の宮部一恵さんが入会されました。
「都庁、稲城市、カトリック協会などに土葬の件を問い合わせましたが何も回答を得られずあきらめていましたがホームページでこちらの会にアクセスでき、日本国内で土葬の出来る場所があることを知って、今は心が穏やかになっています」
懇親会のお知らせ
今年も皆様との意見交換など親睦を深める為に懇親会を開催します。
ご要望があれば風の丘霊園の見学も予定しています。
日時 9月16日(土) 午前11時半より4時頃まで
場所 山梨県南巨摩郡富士川町平林2294−4(山野井宅)
電話/FAX0556−22−8656 090−8639−2416
会費 1,000円 昼食をとりながらの会合となります。
交通 電車は身延線の市川大門駅。バスは新宿から身延行で富士川町の青柳バス停があります。出迎えますのでご連絡ください。
参加希望者は準備の都合がありますので9月10日までに葉書、電話、ファックス、メールにてお申し込みください。
会報17号の発行期日が迫りました。
このわずか半年の間に予期せぬ出来事が起きました。まだ私より若く共通の価値、目的、そして行動を共にしてきた親友を突然失ったことです。膵臓ガンという厄介な病気とはいえ本人はまったく死を意識していないがごとく、治ると確信していたのです。
それゆえ土葬の準備の話も切り出すことが出来ませんでした。彼が土葬を希望していたことは私も家族もすでに知っていたことだったので敢えて本人に確認することもしなかったとも言えます。
会員のみならず私達もいつ死が襲ってくるかも知れません。土葬の会の存続を危惧する言葉をたびたび耳にしますが、それは残った会員が決めることで先立つ者には何の期待もすることは出来ません。自分に出来ることは何か、何をすべきかと、そして組織は人数が多ければ安心というものでもありません。ひとえに存続への責任と自覚を持った少数の人々でもかまわないと思うのです。大切なことは継続であって途中であきらめないことです。
そして、誰かに任せるのではなく自分の責任をそれぞれが果たすこと、自分の問題として取り組めば不安は解消されるのではないでしょうか。
次回の会報は年末にお届けします。