会員の皆様へ
日々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
昨年会員制度を設けてより以後8名の方にご入会頂くことができ9名になりました。たいへんありがとうございます。日本の人口1億2千500万分の数名という希少な数ですが、それでも会としては心強い限りです。これまで知る限り土葬を望んでいる人はまだほかにたくさんおられることが、会の発足以来お問い合わせを頂いた経過を見るとわかります。
一般的には死はまだまだ先のことなのでその時になって考えようとか、死は他人を襲うものであって自分はまだ死ぬはずはないと思っておられるようです。ですからいまから準備することでもない、とお考えのようです。
つまり必ずやって来る死への準備を先送りして、その時がきたら火葬か土葬そしてお墓のことを考えられるのでしょう。
そのような中にあって土葬への興味を呼び起こされ、ご本人の希望、ご親族の希望などによって埋葬、および墓地永代使用契約、準備のための会員やそれどころか特に土葬を望まないが支援のみの会員もおられます。
会員になられた方は死を身近なものとして、やがて来るものとしていまから死を意識しながら準備され、生と死は常に隣り合わせにあると意識され、いまを有意義に過ごされておられることと推察します。また会の存在を支援して頂くことは土葬の意義への洞察、理解を持たれ、またご自身にも責任ある方々であることを非常に嬉しく思います。
何事も1人でできることは限られておりますし賛同され協力して頂くことによってやがて世論を動かし、土葬の見直しへと変わって行くであろうことを確信しております。とはいえ現在の日本の火葬率は99.7%と言われておりますが現実はもっと厳しい状況99.999%すなわち10万人に1人位になるのではないかと思います。なぜならインターネットなどで検索しても最近10年以内で土葬をしたという情報は土葬の会以外では皆無だからです。土葬の風習が残っていた全国でも数少ない山梨県のある地区でさえ数年前に火葬場ができたのでますます土葬は絶望的な状況となっています。ですから私達の活動はほとんど不可能な土葬の見直しへの挑戦といえます。
それは人びとの良心への訴えでもあります。誰しも火葬に臨むに至っては焼却炉のふたが開かれその中に棺が入れられ扉が閉まるとやるせなさや悲しみ不安な気持ちになられたことがあったのではないでしょうか。
私の経験では小学生に入ったころに立て続けに母親や叔母、祖母の葬儀に臨み火葬場で焼却炉の中に薪が積まれその上に棺が載せられ、鉄のふたが閉じられます。それだけでも最初は不安でしたし、また私はそこに入りたくないと思ったものです。そして火口(ひぐち)から火が放たれ徐々に焼けていくのが見え、その火口に1人1人線香を投じてお別れします。
焼ける音やその状況が見えることは心中穏やかではありません。やがて火が収まって鉄板の上に残った遺骨と灰とともに外に運び出され箸でそれぞれが骨を拾います。大きな骨は骨壺に入るように折られ小さな骨は灰と共に捨てられるのです。病気で亡くなると骨はもろくあまり残らないようですが、健康な状態で亡くなって骨が多いと骨壺に入り切れないので捨てられます。そこにも何か割り切れない気持ちになったものです。
いっぽう土葬はどうかと言いますと、初めてお世話したときは、穴が掘り進められると最後のお別れをして親族と共に棺を降ろし土が掛けられやがて土が盛られ花を飾ります。すると一連の流れの中で真っ暗な中に、とか土に埋もれてしまってとか考えましたが火葬のような違和感はなく埋葬後には安堵とすがすがしさを感じたものです。まるでそこに眠っているようで、そして時が過ぎてもいつも彼の地に眠っていると想起させるのでした。
これまでの経過説明
2001年、前年にFIGUスイスのビリーマイヤー氏の情報から土葬の意義を知ることができたのですがフイグ・ヤーパンの仲間が急死し土葬をと葬儀会社に訪ねたのです。しかしどこにもないと言うことでできずそれが残念で、いつでもどこからでも土葬のできるようにと土葬の会を作り山梨県の霊園と提携しました。
2002年、初めての土葬を行いました。
2003年、2例目の土葬を行いました。
2008年4月、風の丘霊園へと管理霊園が変わり提携変更。
土葬の会のホームページを作り、会員制度を設け、霊園の分譲開始をしました。
2008年11月、3例目の土葬を行い、喪主の息子さんより大変感謝されました。
2009年7月、日本イスラミックモスクより問い合わせを頂き関西における土葬専用墓地の共同開発の打診を受けました。
確かに当会はやがて土葬専用の墓園を造ることを目指してはおりますし、関西方面の方々から土葬用墓地の要望が寄せられていますのでこの上ないお話と思いました。しかし当会はまだ会員も少なく墓園のための寄付を募る状況でないことと資金力が伴わない現状をお伝えしましたが、今後、実現に向けて協力関係を作ることにしました。
10月、東京から土葬用墓地の見学に3名の方が来られました。
お一人は台湾出身の方で母国は土葬が行われており、ご自分も焼かれるのはいやなので、それで同伴した知人に頼んで土葬のできるところを探してもらって土葬の会を見つけたのだそうです。もう70歳を過ぎているので準備しておきたいとの思いから見学に来られたのです。埋葬許可を役所で出してくれるのだろうかと不安がっていましたので、通常は火葬、土葬にかかわらず埋葬許可証を出してくれるのですが、昨年の例では役所にはもう火葬許可証しか用意がなく、これで土葬をしてくださいといわれた事例があります。
同月、私のかかわっているフイグ・ヤーパンを通じてFIGUスイスのエドウアルト・ビリー・マイヤー氏に土葬の埋葬の方法と土葬の意義の詳細を質問しました。日本は国土が狭いため希少な土葬用の墓地も手狭になることが予想されるからです。それにつきましては2.5メートルの穴を掘り一人目を、二人目はその上に、さらに三人目をと教わりました。通常は2メートルを掘ることになっているので二人目は並べて埋葬する方法しか考えられなかったのですが、目から鱗の解決策でした。これに伴いまして穴掘り費用が2.5メートルの場合は15万円になりますのでご了承ねがいます。また意義の詳細については「生まれ変わり、生きること、死ぬこと、死と悲嘆」(翻訳前に付き仮題)について彼が書いた本があるのでそれを研究するようにと教えていただきました。その本はドイツ語ですので日本語に翻訳しなければなりません。300ページありますので製本まで入れますと250万円ほどになりそうです。それにも資金が必要ですがいずれにしても会にとって最も重要な本となるものです。この内容は仏教やキリスト教、イスラム教においても知ることはできないとても貴重なものですから寄付を募って翻訳したいと考えております。日本人はほとんどが仏教に関係していますが教典にも坊主ですら埋葬の意義を知ることなく合理的に効率よく火葬へと移行してしまい精神的、霊的価値が見過ごされる悪しき結果となっています。
この機会に寄付を募りたいと思いますのでよろしくお願いします。
一万円以上頂いた方には本が出版でき次第お届けしたいと思いますが費用が集まるまでに数年掛かることをご理解願いたいと思います。下の画像は原書です
振り込み口座は 山梨信用金庫 増穂支店 普通口座0126359
土葬の会 山野井英俊 0556-22-8656
11月、広島県の方から近くで土葬のできるところがありませんかと、問い合わせを頂きました。あいにく今のところありませんがこちらはいつでも受け入れはできますので、可能な限りそちらで探してみてはいかがでしょうと伝えました。そして死亡後もドライアイスで維持しながら10日すぎ頃にようやく1人分の墓地を見付けることができ埋葬したとの報告を受けました。この件では当初役所で土葬は前例がないので埋葬許可証は出せない、と言われたそうです。それでそのようなことはあり得ないので多分その担当者がそう思い込んでいるに違いなく、条例でも決まっていないはずなので再度交渉するようにと伝えたところ、交渉した結果、やはり出してくれたそうです。この場合も大変感謝されたことは言うまでもありませんが、役所から言われると、いったい誰が疑うでしょうか、何気ない一言や誤った情報が土葬を願う切実な思いを一瞬にして葬り去る危険性があることを考慮しなければなりません。またいずれの場合も危篤状態に置かれて初めてご親族は葬儀について考え土葬の場合は探されるということが多いのですが、そのようなときに適切に対応できるよう会の準備も要求されるというものです。
12月、山梨県内の神道の方から問い合わせがありました。神主が危篤状態にあって神道は土葬なので土葬用の霊園があるのですが、そこに埋葬するために方法が分からないのでお願いできませんかと依頼されました。
それで会としては神道の霊園に赴いての埋葬は初めてのことでしたがお役に立てるのであればとお受けしました。
連日雨天でしたが埋葬日は晴天に恵まれ穴掘り、納棺そして雅楽が奏でられ神道埋葬祭と滞りなく執り行われました。参列者の中にはかつて埋葬に立ち会ったことのある人、初めての人などは目の当たりにする土葬に感慨深げで質問なども頂きました。また後任の神主になられる方より同じ山梨に土葬の会があったことと無事埋葬することのできたことに大変感謝され、会にはこのような役割もあるのだと改めて実感した次第です。
同月、千葉県浦安市の方が土葬の墓地を見たいとお問い合わせを頂きました。
墓地で待ち合わせて、息子さんを伴っておいでになり現地を見ながら説明し、茶店に移動して種々お話をしました。いまから準備しておきたいとの思いから来られたそうで、お仲間にはやはり土葬を望まれる方がおられるそうでよく相談してみるとおっしゃって、やはり来てみて良かったと言って頂きました。
以上ですが、もう年末ですし会報と情報をお届けすることにいたします。