皆様いかがおすごしでしょうか。
今年の夏は記録的な熱さが続き体調をくずされた方もおられたのではないでしょうか。毎年のように異常気象が伝えられておりますがその根本的な原因に人口過剰があることは決して話題に上ることはありません。それどころか少子化対策として人口増加を煽っています。人間のみが地球の環境に影響を与えており温暖化、異常気象、食糧難、飢餓、紛争や戦争などを引き起こしますが他の動植物は決して地球環境に影響を及ぼすことはないのです。人々は静かに推移する現象には気が付きにくいように感じます、異常気象の定義は30年に一度起こる現象を指すそうですが、いまや毎年のように変化があるにもかかわらずその根本の原因に注目することはありません。
同じように土葬が減少して来ていてもそれには気が付かず世の流れに流されて
その意味に付いても注目されることはありません。いまや絶滅危惧種になっているのですが気が付いた時には消滅していたということにならぬようにしたいものです。
7月10日、<私の同居していた義母、妻の母親が90歳の生を閉じた。子供の頃から苦労が絶え間なかったようで、12歳の時、母親が生後間もない末の弟を残して亡くなるときにその行く末を託されたという。それからというものは母親代わりとして小学校の授業には背負って行ったが、子供が泣くとうるさいと言って廊下に出されたりしたそうだ。また乳を与える事が出来ないので米を摺って重湯を作って与えたりして長女としての役割を果たしたという。それらの苦労話はとくに入院中によく語っていたものだ。その付き添いには長男と5人の娘達が入れ替わり立ち代わり、時には孫までがいて世話をするので本人はもとより周りからもうらやましげで、本人も老後の生活が幸せであった事を何度も感謝していた。北海道にいたころから妻が頻繁に面倒を見ていたせいか、私たちが山梨へ移住することになったときも着いて来ることになった、私も幼い頃母親を失っているので母親代わりをさせて貰う事によって、自分が果たせなかった経験をすることができるし、また義母の田舎暮らしの様子から自分も参考に出来ることがあると考えた。妻は面倒見が良い事と専業主婦なのでいっそう母親に取っては都合が良かったのだろう。北海道を離れても本州に住むほかの3人の娘達とよく会えたことで寂しさを感じなかったようで、またこの地で富士山を見る事ができることや地域のお年寄りと親しくなったりで、雪に煩わされる事なく散歩が出来たり農作業を楽しんだりしていた。そのうちに娘の1人が隣に越して来る事になったのも楽しみであったようだ。6ヶ月の入院生活で眠るように息を引き取ったが、その間、皆十分に見舞ったことで心の準備ができていて滞りなく葬儀を行うことができた。この間、子供達の絆はいっそう良く結ばれたようで、母親の死を契機に残された者が幸せに生きる事のすばらしさを見せて頂いた。生前に大袈裟な葬儀はしないように、との意思を受けて通夜は自宅で行なうことにし親族以外では集落の人にだけ連絡をし新聞広報はしなかった。ベランダからお参りができるようにしてお経の代わりに音楽をかけ、香典返しには義母の思い出を綴ったお手紙を入れた。音楽や手紙のことが後に大変良かったと感想をいただいたのは嬉しかった。
さて、土葬の選択もあったのだが、夫が既に亡くなって北海道のお墓にある事から、自分が亡くなったらすぐにお墓に入りたいとの意向があったのでそれを尊重する事にしたのである。火葬に立ち会うのは胸が痛んだが、長い霊的人生における一時期の火葬もやむをえないと考える事も出来る。
それにしても火葬場はすっかり儀式的になっていて喪主を先頭に棺の後に着いて行く。お窯の前でお別れをして棺を中に入れ焼却のあいだ2時間ほど待つとお呼びが掛かり、ずいぶんと速い。昔は薪を燃やしていたのでもっと時間が掛かったと思うが、行くとお窯の前では既に焼き上がった骨が見え、そして臭いがする。その時、妻の妹が自分は土葬にしてほしいと息子に話していた。箸を渡され喪主に拾った骨を箸渡しして喪主が骨壺に足の方から拾って納めるのだそうだ。しっかりと骨が残っていたので、こんなに骨が残るのは健康だったからだと私が皆に言うと、担当官はこれほど骨が残る事は珍しい、大病の人は骨がほとんど残らない事があると説明してくれた。最初に担当官が頭蓋骨だけ拾って最後に上に収めるのだそうだが、それにしても皆で骨壺に入れれば良さそうなものだが「箸」が「橋」に通じるため、 亡き人をこの世からあの世へ、橋渡しするという意味が込められている。北海道のお寺で葬儀のあと納骨するので、こちらでは家族葬で坊さんは頼まなかったが、もし頼んでいたとすればいろいろと労力が掛かった事だろう。宗教的な儀礼を考えると数多くの葬儀の種類がある事がわかるが昔の宗教がなかった頃はただ穴を掘って遺体を埋葬していたのだと思う。いわゆる土葬であるが、その頃にわざわざ薪を集めて火葬にする事は発想になかったのだろうし、その遺骨の処理にも一手間がかかる事を思えば、土葬は何と合理的で自然まかせであることか。宗教が儀礼的である事を考えると火葬もまた儀礼的に見えるのです。>山野井
8月23日 千葉県の男性の方から
土葬の会御中
カトリックという宗教的理由により、将来家族の土葬を考えています。
よって土葬に関する資料郵送をお願い致します。
8月24日
かなり前にメールを送らせいただいた千葉県の○○ですが、覚えていらっしゃるでしょうか? 仕事の傍ら、引続き葬儀関連の勉強しており、少しずつではありますが土葬と火葬について詳しくなりつつあると自分なりに感じております。最近では(中国の)天葬についてインターネットで調べまくり、そして天葬に対する人の感情について考えてみました。その結果、天葬は人によって土葬や火葬以上にばらつきがあるようで、楽観的な見方では、“すばらしい”、“天”、“感動的”、“高尚”、“神聖”、“自然と一体”、“もし可能ならば、自分はこの方法で葬ってもらいたい”、“かっこいい”、“(最近の世相を反映して)エコ”など。これに対して、悲観的な見方では、“グロ”、“残酷”、“気持ち悪い”、“恐ろしい”、“ショック”、“この世のこととは思えない”、“自分は絶対に望まない”など。
そこで私が疑問に思ったことの1つとして、土葬を望む人は天葬をどのように思っているのか、とても気になるところです。 ところで、私は連休があれば土葬の会が確保した土葬墓をぜひとも訪ねてみたいものです。
<こんにちは、再度のお問い合わせありがとうございます。
天葬はいわゆる鳥葬ですね、むかしチベットの鳥葬を映画で見たことがあります。その時の様子では死者は死後、天へ届くようにとの遺族の思いで遺体を石などで切るか砕くかして鳥に食べ易くし空に運んでもらうという意味だったと思います。ずいぶん残酷な葬り方をするものだと思いましたが、今にして思うと骨までは運んでくれずすべてが思い通りに行かないのでは、ということに遺族の人は特に疑問を抱いていないのでしょう。
天に戻すというのは空高く舞い上がって戻って来ないならば想いを遂げるでしょうが、鳥もいつまでも飛び続けることもなく地上に舞い戻って生活するわけですから。ひとつの信仰といえるでしょう。
さて土葬ですが、義母が亡くなって火葬に立ち会ったのですがその時の様子をお読み頂けば遺体を山へ運んでそこで砕く、このようなことは遺族感情としてとてもできるはずもなく、綺麗な死に装束をまとわせて花を飾り遺品などを一緒に持たせて旅立たせる、葬るとの想いがありますし、そして墓参りは死後も遺族は絆を感じて行うものなので、その遺族感情を捨てさせるのは明らかに信仰的な抑制が働いているようであり天葬もまた儀礼的ではないでしょうか。>山野井
8月13日
<そして千葉の○○さんが来られ、韮崎駅まで出迎えそのまま墓地へ案内しました。墓地の規模や、寝棺での埋葬であることを伝え、土葬がされた墓地を見学や写真を撮られ、その後私の自宅までお連れし、いろいろお話をしましたが、このように火葬や土葬による埋葬についてあちこち尋ね歩いて研究されておられることを知り感心しました。
後日、以下にお礼の言葉が寄せられました。>山野井
「 引続き世界の土葬と火葬を中心に葬儀の勉強をして、お役に立てられるよう頑張るつもりでございます・・・もちろん、土葬派の人たちのお力になれるためにも。それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。」
10月22日
<東京から土葬の墓地を見たいと言って尋ねて来られた方がいます。韮崎駅まで出迎えて案内しましたが、どのように土葬の会を知ったのですかと聞くと、新宿区役所に行って土葬の出来るところを教えてほしい、と聞いたがそこでは土葬の出来るところは知らないと言われ、中野区役所へ行ったら「土葬の会ですか」と教えてくれたというのです。役所でインターネットかなにかで調べてくれたのですかと聞くと、「いいえ、すぐ教えてくれました。有名なんですね。」と言うので驚きました。これまでの役所の対応は土葬に関してはお祖末な思いをした事が度々ありますが、中野区役所の対応は嬉しいですね。
さて現地で、「ここの墓地はいつまでもこの場にあるのでしょうか、墓地が無くなる事はありませんか。」と言われるのです。火葬をする人の意向は知らないが土葬に興味のある人に共通するのは埋葬後の心配である。つまりいつまでも埋葬された状態でいられるのかという事です。開発や寺院、霊園の倒産によって
移転及消滅してしまう危惧もあるからです。それでこの地は開発されるような土地柄でない事と、そのような問題がもし生じた場合には適切な対応を出来るように土葬の会として取り組む事が必要で、そのためにも会の存在は継続させなければならないのです。と説明しました。>山野井
11月
会員の方からご自分の死後に伴う土葬についてご要望が寄せられました。
埋葬後の墓地に付いて、その後お墓を守る家族がおられないため埋葬後の処置を土葬の会にお任せしたいということでした。これまでのお問い合わせではご家族がありその後もご家族がお墓を守り維持される形でしたが、お一人の土葬の場合もあり得ることが提起されました。これについて会では既に霊園の管理会社とも相談をしておりまして、集合埋葬墓地の区画を新たに設けることを検討しております。つまりお一人一代限りの墓地を集合させることにより霊園による維持管理に於いても一元化出来、そしてその際の費用や年間の管理料なども含めた一括払いの料金体系で費用も安く出来るなら望ましいのではないでしょうか。具体化しましたらお知らせしたいと思います。
12月3日
神奈川県の方から問い合わせをいただきました。母親が危篤状態で娘としては
火葬は痛ましいので土葬を検討されているとのことでした。
埋葬後に、バクテリアなどで身体が腐食するのを防ぐための冷凍など出来ないのでしょうかと言われるのです。たとえ土葬であっても愛する母が腐食されて行くことを考えるとなんとか出来ないかと思われるのは遺族感情として理解出来ますが、土葬は昔から日本で行われており自然な方法で肉体が腐食し骨も何百年とかけて土に還って行くことが自然なのですとお伝えました。